無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

反マザーテレサ論

 

マザーテレサの、思考・言葉・行動・習慣・人格・運命 論。

 

信奉者だったわけだが、そうでもない気がしてきた。

 

少なくとも、思考からの言語化という過程から、行動に移すかどうかにおいて、人間は理性による判断が可能だ。

ここに理性を働かせられない人間にとっては、マザーテレサの教えは金言だろう。

 

だが、自分の脳内で言語化されたその思念を発言することが、「行動」の初期段階とするならば。もしくは「思考」というプロセスが「言語化」を伴うものだとするならば。

 

これは、反知性主義でしかありえない。

 

「気をつけなさい」という言葉の含意が、「理性的に判断しなさい」という意味ならば、今でも全く同意できる言葉であるが、それを為せない一般大衆に向けての発言ゆえに「気をつけなさい」という言い方になったとするならば、聴く者にとって少なくとも誤解されかねない教えであると断ぜざるを得ない。少なくとも言葉足らずである。

 

邪念が邪念であると理解されるためには、言語化は必須の行程なのではないだろうか。

言語化されてこそ、その思念は評価の対象たりえるのではないか。

 

私のように、この教えを胸に、ある種の思考放棄に陥った人たちがいるならば、その本当の意味を思い起こすべきであると、自戒を込めて思う次第であります。