無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

宗教(とか)の話


宗教観の違いは価値観の違いであり、価値観が違えば互いの「正義」が激突する。

互いに自分の正しさを疑わないとき、対立は先鋭化する。

先鋭化した対立を内在させる社会は不安定である。

したがって、歴史上、様々な権力が特定の宗教を弾圧してきた。


宗教弾圧の目的が社会不安の除去であるから、ほとんどの場合、これらの弾圧には「転向」の道が用意されている。
これは、信仰を棄て、共同体の信じる価値観に従うことの宣誓である。


弾圧されやすい宗教とは、独善性の強い宗教なのではないだろうか。
解釈の幅が大きく、本能への制約の少ない宗教は、教義に従いながらも社会規範を犯す蓋然性が低いため、異なる社会の中においても危険視されにくかろう。

イスラム原理主義は、その独善性ゆえに国際秩序から受け入れられず、過激化した。そして、今弾圧されるに至っている。
自己改革を怠り、柔軟性と強靭さを獲得することを拒否した集団の末路であるともいえる。



その点、ユダヤ教は根深い問題を抱えている可能性がある。
民族(あるいは血統)と宗教が強く結合してしまっているがゆえに、その教義の独善性と相まって、外部世界と融和することが困難だったのではないか。そのような、ホロコーストを呼ぶ下地がなかったと、誰が言えようか。

ナチを絶対悪と規定し、悲劇的ホロコーストの被害者であるという地位を得ることに成功したシオニストたちは、それがゆえに今は安住の地にいる。ユダヤ教に対する疑念を「差別」とすることに成功したがゆえに、自らの宗教を見つめ直し、改革する動機を失っているように見える。
イスラム教が、原理主義者たちを通して、自ら改革を迫られているのとは対照的だ。



何が言いたいかというと、宗教もイデオロギーも、主義主張あるいは価値観の問題なのであって、個人の思想によって転向しうる性質のものなのではないか、ということで、血統によって転向を許されなかったホロコーストはやっぱりひどいよね、という話とともに、ユダヤ教血統主義はやめたほうが良いんじゃないの、という話だったりもするわけです。

個人的には、名前の響きだけで、ゾロアスター教に興味を持った時期があったわけですが、これも血統主義だったりしていて、先天的に資格なしだったことに理不尽さを感じたことがあったなぁ。みたいな。