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無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

人生とは、既得権益獲得の歴史でもある

人間、それなりに長い人生を生きていくということは、もろもろの「権利」を獲得していく歴史でもあります。何も持たない若者が、努力と才覚で地位を築き上げる過程は、まさしく「権利獲得」の過程でしょう。
サラリーマンであれば月給いくらを支給してもらえる権利、老後も年金を支給してもらえる受給者たる権利。金融みたいなクラスタであれば、株式取得にまつわる株主権限や、種々の債権など。
今、この国は、既得権者であふれかえっている。団塊の世代が軒並み大きな既得権者たる、人生の終末期を迎えているからです。彼らが、民主政という枠内において、有権者ボリュームゾーンを占めている。
果たしてこのような状況で、「既得権の打破」「岩盤規制をぶち破る」などということが可能なのでしょうか。

「国が若い」と言うことは、既得権保持に汲々とする老人ではなく、これから(より大きい)権利を獲得しようという、覇気溢れる若者が社会を主導していく、と言うことです。

明治維新を為した明治の元老たちも、維新当時は20代そこそこの若造たちばかりでした。彼らは大いに未熟であったし、彼らのやったことには暴力的で残忍で、卑劣な行為も多分に含まれていました。未熟であり、無能でもあった。

しかし、彼らの「しがらみのなさ」「既得権からの自由」こそが、明治日本の(意思決定や実行段階における)「機動力」の源泉だったのではないでしょうか。