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無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

人間の本質的な悪徳に「被害者意識」を加えるべき

被害者意識は人間から責任感を奪う。

被害者であるという自意識は、問題解決の責任を自分に求めない。「加害者」に求める。

問題解決への努力をしない。問題解決への努力は、その大前提に問題点がどこにあるのかを知ろうとする意志を求める。

「被害者」は、問題点がどこにあるのかを知ろうとする努力を放棄する。つまり、いつまでも論点に対して無知でいつづける。

 

問題解決に対して様々なアイディアを出し合い、問題点を解決する努力に対して、いつまでもゼロ回答をし続けるのは、そういうカラクリなのではないでしょうか。

 

Nスぺの沖縄返還の話を見つつ、沖縄県民の「平和への希求」みたいな言説を見ながら、そんなことを思ったわけです。

 

日本の戦後政治家が、アメリカからの独立を勝ち取り、経済成長を成しえたのは、「人口増加ボーナス」みたいな前提条件があったというのもあるでしょうが、この種の「被害者意識」から自由でいられたからではないでしょうか。

 

アメリカが、武力で政権を崩して、アメリカに好ましい国を作ろうと思った第一の前例が日本なのかもしれないが、日本は幸運な例外だったのでしょう。

「被害者意識」から自由であったことのみならず、責任感を失わしめる本質的な要素から自由でいられた人材が、日本にはいました。しかし、かつての南ベトナムとかイラクにはいなかった。

かつての韓国には、いたのかな、と思う。それがごく少数だったので、「軍事政権」という形をとらざるを得なかった。しかし、今の韓国には存在しないのだろう。もしくは、財界にしかいないのかもしれない。

 

翻って、今の日本にどれだけ存在するのか。そこそこいそうな気はするが、全体としては劣化しているようにも思えるんですよね。