無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

伝統的価値観を完全に喪失した日本には、民主主義はもはや不適合なんじゃないだろうか

 

やまもといちろう先生の「真夜中のニャーゴ」を見て、ワイルドワンズの人が人工呼吸器を自ら握りつぶして死んだ的なニュースを思い出して思ったこと。

※人工呼吸器云々のソースですが、後追いでググったけど発見できませんでした。

 

 

 

世界最終戦争であった第2次大戦での唯一の真の敗者は日本であった。
日本が持っていた「伝統的価値観」は、完膚無きまでに破壊された。
ドイツはどうであったか。キリスト教という、戦勝国と共有できる伝統的価値観を持っていた。

伝統的価値観とは何か。
「公」を尊重する風土である。
日本はどうか。
「公」への尊重など、微塵も残ってはいない。
団塊の世代を見よ。個人主義が横行し、左翼思想こそインテリであるとうそぶいていた世代である。

このような社会においては、民主主義は機能しえない。
民主主義とは、有権者たる市民一人一人の「公共心」への信頼に、社会の存立を依存する体制である。
高齢社会に至ったこの社会において、個人主義に脳髄を汚染された老害団塊が、政治的権力を盤石に保持しているのだ。

公共心とは何か。
「世間様に迷惑がかかるなら、私は死ぬ」という心境である。

この状況下において自ら人工呼吸器を止めたその死に、「自殺」という不名誉性を纏った言葉を用いてしまうことは、
この国の、いや、この言葉を母語とする我々が、滅亡することを唯々諾々と認めることに等しいことなのではないのか。

もう一度言おう。
「伝統的価値観」とは、社会を保持するために存在するものである。
今、この社会にはそれがない。

早晩、日本および日本人は滅亡するであろう。
私が唯一幸いに思うのは、それが私の死後であり、私がその目撃者にならずに済みそうなことだけである。

(あ、私が死ぬであろう2060年くらいには、相当衰弱はしていてもまだ滅亡してないだろうと思うからってことなんで、とりあえず当面自殺はしませんよw)

 

 

 

補足、というか追記。

 

「世間様に迷惑がかかる」ということを「神の教えに反する」と刷り込むことができた価値観こそが、現在まで生き残っている「伝統的価値観」なのではないか、ということです。

生物学的なダーウィニズムを、社会通念に援用すると、

「社会というか共同体にとって有害な、しかし個別的合理性でいえば合理的な選択を、有無を言わせず(たとえば神の名のもとに)「悪」と規定する」

という社会通念が、様々な通念を持つたくさんの社会の中で生き抜いてきた「強靭な価値観」なんじゃないかと。

左翼思想はこれへの挑戦であったわけだけれども、この挑戦が社会を存続せしめたという実例は、今のところ存在しないわけです。

バトルプルーフを経ていない兵器を無限定に信用するような愚を、私は犯すべきではないと考えているわけですね。

 

 追記

酔った勢いで○ねとか書いちゃったのを消しました。すみません。