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無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

政治家を市民が潤わせることこそ民主制の本道

累進課税を強化することで得をする「人数」が多いので民主政は累進課税を志向します。
一律な税率に近い税制ほど、得をする「資産所有者数」が多いので、資本制は累進性に敵対的です。
政治と金の問題の焦点はまさにここで、「人数」に信任された政治家が資本に取り込まれることによってその信任に対して背信的な行動をとる恐れがあることです。
政治家に貧しさを要求しても意味はありません。むしろ、「人数」の信任に対する誠実な履行を求めるのであれば、資本に取り込まれないだけの金銭的充足感を持ってもらう必要性すら感じます。
議員の報酬を下げるなどという議論が馬鹿げている理由はここですよ。
 議員の報酬を下げる → 企業献金に依存する → 企業・資本からではなく民衆から徴税しようとする → 消費税が上がる
政治家が儲かるのは許せん、と嫉妬するのは勝手ですが、議員報酬・定数の削減を叫ぶ行為や、そう言った政党に票を投じることは自らの首を絞めることに他ならないのです。

議員の報酬を上げる → 企業献金の魅力が落ちる → 高所得課税・資本課税への抵抗感が減る → 消費税ではなく法人税所得税最高税率を上げる

という方向にしないと。

でも、そう考えると、票を投ずべき政党が存在しないのが、この国の末期的なところ。


資本制を基盤とする中で民主政を機能させようと考えるのであれば、市民の代表者たる議員に資本の蓄積を可能にしてやり、任期中の資本課税を強化させるというシステムこそが合理的なのではないかと。
共和制ローマにおける護民官がその後元老階級へとクラスチェンジするというシステムは、課税の累進性の守護者に、将来の資本家化を約束したシステムであったのかもしれないと思ったりもしましたよ、と。