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無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

試されるイスラム教 : イスラム教界も宗教改革を起こすべき時が来ているのでは?

若者はなぜイスラム国を目指すのか…池内恵氏インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html

イスラム教の事を良く知らない我々が抱きがちな誤解を見事に指摘してくれている文章だと思います。
勉強になります。ありがたいです。本件、関心のある向きには是非一読をおすすめしたいです。

> 一部メディアでは、西欧・米国への移民からイスラム国への参加者が出るのは
> 「彼らが差別されたり貧困に苦しめられたりしているため」といった解説もなされているようだが、これは事実誤認だ。
> ヨーロッパからイスラム国入りした人々について調べてみると、
> その多くは欧米社会でそれなりの学歴を得た、比較的生活水準の高い層から出ている。

氏がおっしゃるようにそれが「自由からの逃走」にあたるのかは、ワタシにはわかりませんが、
日本では、やはり左翼が恣意的に(時に事実を曲げて)自分たちの主張の補強をするために
このような論考をする傾向が強いってことでしょうかね。

> (略)「イスラム教は平和を命じる宗教だ」というのは正しいが、そこで言われているのは、
> イスラム教徒が支配し、イスラム法が施行される秩序の中での平和のことだ。
> 宗教的な自由もないから、仮に日本の仏教教団が中東のイスラム教徒が多数派の国に
> 寺院を建てようとしても絶対に不可能だ。
> 日本で当たり前に享受されている宗教の自由は中東には存在せず、
> 正しい宗教と劣った宗教の区別が厳然と存在し、それが政治権力によって施行されている。
> その上で「平和」と「寛容」があるという事実を日本の知識人は理解できておらず、
> 日本や欧米の限界を超えるユートピアが「イスラム」にあるという主張を
> ポスト・モダン思想が流行したバブル期以来、繰り返してきた。

一神教の論理を、感覚的に理解できない我々日本人は、イスラム教のこの種の強硬さはなかなか飲み込みにくい。

日本では、「相手の身になって考えろ」「見方を変えれば悪いことかもしれない」というメタな視点が叩きこまれます。
それが日本社会のある種の穏やかさの底にあるもののようにも思えるのですが、一神教と言うものには、それがない。

異教徒である相手の身になって考えること自体異常な考え方なのであり、
神の教えに従う以外の見方をすることは神への冒涜なのです。

氏も指摘しておられますが、
世界秩序と折り合いをつけるために、時に血を流して改革してきたキリスト教のように、
イスラム教業界にはイスラム教宗教改革を希望したいですね。

キリスト教が歴史の中でようやく解放された宗教的独善性の呪縛に未だ縛られるイスラム教の教えは、
世界平和・国際秩序との相性がかなり悪いように思えます。
異教徒の社会に住むムスリムの人たちに、個人ベースで社会との折り合いをつけさせているとすれば、
それはあまりに無責任でしょう。




以下、総体的な感想として……

秩序が確立されてしまい、様々な物事がカッチリと制度化されてしまった社会の中で、
自分に何かを期する若者が将来を俯瞰したとき、
「先が見えてしまっている感」というか、「宝くじを当てて一発逆転するしかない」と言うような感覚を抱くことがあります。
というか、私はまさにその真っ只中ですがw

自分ができる努力の限界値、生まれ持った才能、生まれ育った環境etc……
ある種、自分の限界値が見える中で、自分の欲望を自分が望むレベルで満たせる日は、この社会では一生来ない、
と感じたとき、若者は戦争を望むんじゃないでしょうか。
社会全体が大混乱に見舞われてしまえば、自分にもワンチャンあるかもしれない。

そんな心境にいる若者にしてみたら、
戦いの勝ち負けが全ての世界(誰にでもチャンスがある)、それも拉致した若い女(アラブ美女)が戦利品、みたいな破天荒な世界は、
ある種魅力的に映るのではないでしょうか。