無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

成功者の傲慢さ ~お前ら、そんなに偉くはないよ?比較的幸運だっただけで。もしくはその有能さは相対的なものでしかない~


論旨がまるで違うところの言論であることは解ったうえで、
あえて噛みついてみます。チラ裏でw

所ジョージさんの「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」から考える諦めの重要性 http://laugh-raku.com/archives/10414 言いたいことは解るし、大事な視座だと思うんだけど、 社会には「『向いている人』が存在しえない仕事」が存在しているわけですよ。 特殊清掃「戦う男たち」 http://blog.goo.ne.jp/clean110 ※内容的に閲覧要注意です(グロを掻き立てる書き方ではないですが、内容自体はグロ領域なので) ほとんど、とは言えないのかもしれませんが、
結構大勢の人は「向いている」仕事に就けず、 「苦労」とか「努力」という思いを抱きながら働いている。 そもそも、「働くこと」が向いている人間がどれだけいるというのだ。 だいたい、その言葉がメディアに乗って流通するような人って、 「向いている」人が存在しうる仕事してる人だけっすよ。 「苦労」とか「努力」という思いを持たずに働ける人は、
経営者にはなってはいけませんね。 その職場は容易にブラック化する。 ワタミで飲み屋の店員が「向いている」人が、
その労働力需要を満たすほど存在しているとは思えない訳で。 ていうか、「向いている」人は、
ワタミよりもっと給料(もしくは待遇)の良い飲食店で働くんじゃない? ある種の才能を持つ人が、苦労を苦労と感じず、
努力を努力と感じないままに成功することは、とてもいいことです。 微視的には。 でも、「苦労」とか「努力」とかって、否定しては絶対に駄目だと思う。 誰かの「苦労」があるからこそ、世界は回っているのだし、彼らの成功もあるのです。 このへんの無自覚さが、ブラック企業を産み出す土壌になっているような気がします。

社会的に「成功している」とされている人は、
その成功が多分に偶然によってなされているものであり、

あなたたちが思っているほど「能力」や「努力」に差があったわけではないこと、
あなたたちが「能力」や「努力」において劣っているとみなしている人たちが、
ある種の行動に出たりでなかったりしたことによってもたらされていることに、
もう少し自覚的であったほうがいいと思う。

とはいえ、われわれ小市民は、やっぱり「無能であることを恥と思うべき」ではあるのですが。