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無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

議論を尽くして練り上げられた理念は、理念の共有なき現実の前には無力だ



9.11から13年-米国の何が変わったのか、変わらないのか
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20140911-00039026/

> 理念を掲げて、その正当性を強調し、仲間を集め、集団的な圧力でコトにあたる手法は、倫理的、規範的な色彩が強くなるだけに、
> 「他者」に対して不寛容になりがちです。つまり、ソフトパワーの拡充によるリーダーシップは、米国的価値の強要や文化摩擦と紙一重です。


ウクライナ危機の原因は、欧米のリベラルな妄想だ」とミアシャイマーは言う
http://www.riabou.net/entry/2014/09/20/111021



ウクライナ問題をヲチしていてかねがね感じていた違和感の正体が、おぼろげながら見えてきた気がしています。


アメリカとロシアの議論がイマイチ噛み合ってないんです。
これはISISと国際社会の間でも似たような話なのかもしれませんが。




国際社会(というか先進国)は、歴史上存在してきた社会問題に対して「どうあるべきか」を常に議論し、模索してきました。
それは、「政権は民主主義プロセスによって承認されるべき」「人権尊重」「国際法順守」というような理念として結実しています。

現実にある問題への対処法として編み上げられたこれらの施策は、
そのルールに基づいた統治が行われる中で「理念」となっていきました。

しかしいま、理念となったこれらの施策は、現実にある諸問題に対応できているでしょうか。


議論を尽くす中で高度化された「理念」は、論戦において正しく展開されなければ力になりません。

現実に存在する問題に対して、「理念」を根拠に論戦を挑む場合、
議論している問題が、「理念」が基礎にした過去の現実問題と同じ性質のものであることを証明せねばなりません。


自己目的化された「理念」は、基礎となる議論を正しく展開できなければ、単なる妄言にしかなりません。
「机上の空論」の域にすら達することができない。

ウクライナ問題を、ロシアは「自国の安全保障」の問題としてとらえています。
しかし、米欧は「既存の国際秩序に対する挑戦(=国境線の変更を許さない態度)」であったり、
「政権は民主主義プロセスに基づくべきである」などという理念に、自己催眠にかかっているという状況であるのでしょう。


このような思考停止にある状態を、私は「バカである」と思っています。