無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

日本の報復核がアメリカの都市を核の炎で焼く日

つづき。

日本の戦争ドキュメンタリーの文脈としては、
アメリカが核を使用したことに道義的な責任を求めません。

戦争、ましてや総力戦ともなると、核の使用をもためらわなくなってしまう。
だからこそ、戦争そのものが悪なのだ。戦争さえなければ、アメリカが核を使用することもなかった。
つまり、核を落とされたのは、戦争を仕掛けた日本の自業自得である、と。

広島・長崎の責任は、戦争を起こした日本(政府or軍部)に帰せられる、というロジックです。


我々は、「戦争=悪」という価値観をほとんど疑うことなく抱いています。

しかし、「戦争=悪」という価値観から離れて考えると、日本の大戦略にいくつかの選択肢が見えてこないでしょうか。

事実、わずか数世代前までは「戦争=正義」だったわけです。少なくとも、遂行中の戦争は正義の戦争だったわけです。
我が国がアメリカに事実上滅亡させられた70年前の戦争までは、近代日本は戦争に負けたことがありませんでした。
(シベリア出兵など、「失敗」はいくつかあったと思いますが。)

「戦争=悪」という価値観のくびきからときはなれた日本がアメリカを核攻撃する、というシナリオはアメリカにとって悪夢でしょう。


集団的自衛権の行使の一部容認を日本に求めた(と言われている)アメリカですが、「正義の戦争」に日本が目覚める日が来たとき、
アメリカはこの判断を後悔するのではないでしょうか。

ロサンゼルスが、ニューヨークが、日の丸核で燃える時、自業自得でないと誰が言えるでしょうか。