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無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

温暖化と少子化


IPCCが第5次評価報告書が公表されましたね。


つまるところ、前回から有効打を打てず、そのまま悪化しちゃってるので、実害が出る前提でその対策をしましょう……という話の模様。


みんながみんな、「何とかしないといけないよね」と口だけでは言っておきながら、イマイチ対策が進んでなかったということなんでしょう。

でもこれって、地球温暖化に限った話じゃないんですよね。
というか、我が国においてはもっと深刻な「少子化」「人口減少」が似たような経過をたどっています。

今日もこんなニュースが。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140415/plc14041519430019-n1.htm



共通点は、その実行主体が非常に多数である上に、実行主体に何らかの制約を強いる、ということです。
CO2を削減するためには、社会の構成員ひとりひとりに使用エネルギー量の削減を強います。
産まれてくる子供の数を増やすには、女性に肉体的負担を、家庭に経済的負担を強います。

社会全体に、その負担を等しく強いることができればいいのですが、それには強権的な調整役が必要になります。


温暖化問題の場合、エネルギー使用量の削減は、世界の国々にとって、産業振興への大きなブレーキとなります。
とすると、各国としては、自国のみその制約を受け入れ、相対的な国力を低下させるわけには、安全保障という観点からも、いきません。
世界各国が足並みをそろえてその制約を受け入れる枠組みがなければ、国家に対して責任を負う各国政府はエネルギー使用量の削減を受け入れることが できないのです。
そして、各国政府に使用エネルギーを減らすことを強いることのできる国際機関はありません。

人口問題の場合は、人権との兼ね合いが発生します。
老後の生活保障を年金と言う形で社会化した現代社会において、老後の面倒を見てくれることを期待して子供を設ける、という動機は相当に弱まっているでしょう。
子供を持つ、持たざるにかかわらず平等に老後の生活が保障されるのであるならば、子育てに係るコストを負担したくない、と考える人がいても、それは極めて自然なことですし、そのような生き方も尊重しなければならない、という社会通念が普及しています。


国際協調、民主主義という、分権的な社会通念を尊重する限り、これらの問題は解決できないのかもしれません。