無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

極論にしがみつき、ゼロ回答を繰り返すだけな人びと

原発事故関連の言説を見て回ってた時に、確かテレビだったと思うんですが、原発反対派の方がこんな感じのことをおっしゃっていたのを覚えています。

 

 僕たちはこの事故を防ぐために闘ってきた。しかし事故は起きてしまった。僕たちの反原発運動は、完膚なきまでに敗北したのだ。

 

戦後、反原発運動は、左翼を中心に展開されてきました。

左翼の人は、どういう反対運動を展開してきたのでしょうか?


反原発運動史を勉強したわけではないので、その実態を知っているわけではないのですが、原発は危険である、絶対反対である、という反対運動が主流だったのではないでしょうか。


どのような安全策を講じても事故を起こす危険性がゼロではないのだからそれは危険である、という極論を盾に、具体的な安全対策の検証を怠った訳です。


反原発運動の本当の目的は、放射能災害を防ぐことだったはずです。確かに、原発を作らなければ放射能災害は起こりません。ですが、原発を作ることのメリットを得ようという意見が大勢を占めたときに、原発の安全性を向上させることで放射能災害を防ぐという形で、運動を続けることはできなかったのでしょうか。


極論にしがみつくのは簡単です。

ですが、目的を達成するために、粘り強く議論を重ねる努力を続けることができる人は多くありません。


我々は、その役割を政治家に託しています。

その意味で、原発反対派の国会議員は、その努力を怠ってきたと、言う他ありません。


今の左翼を見るに、反対のための反対に終始していたのではないか、議席を得るために反原発運動を利用しただけではないのか、という疑念がぬぐえません。


情緒的な拒否反応は、それ自体は必要なことだと思います。

多くの人は、その直感をうまく言語化することが出来ません。

だからこそ、その真意を汲み取り理論化する力、目的を達成するための議論力や科学的知見を磨き、戦える力を持つ政治家が必要なのです。


詳細を調べた訳ではありませんが、原発事故が発生した時に、己の敗北を痛切に反省した左翼政治家がいたでしょうか。

自民党政治にその責任を転嫁した左翼政治家がどれだけいたでしょうか。


この辺りに、有権者が左翼政治家を決定的に信用しなくなった要因があるのではないかと、感じています。