無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

売春規制について


異物(社会的に一般的でない事物)との付き合い方として、 私は先日、以下の4つの向き合い方があるのではないかとしました。 根絶 隔離 受容 推進 何もしない状態でその事物が「受容」の段階にあるものは、「異物」とは呼べませんね。 先日挙げたいくつかの事物について、自然的安定状態がどこで、社会的に今どうなっているのかを少し考えてみたいと思います。 ▼売春:「隔離」安定だったものを「根絶」しようとしている 春をひさぐ商売は、歴史上あまねく社会に存在してきたと言われます。 人類最古の職業は売春婦である、とは誰の言葉でしたでしょうか。 性欲を抱えた若い男性だった経験がないヒトには、その需要が理解されにくいものでしょうが、 それ相応の価格設定に応える需要は確実に存在します。 良い値で売れるのであれば、貧困にあえぐ女性ならば、その供給に応えようとするのではないでしょうか。 極論すると、性別よ年齢さえ満たせば成立してしまうサービスなので、 心理的・倫理的なハードルを越えてしまえば事実上の参入障壁は高くないと言えます。 推測ですが、ここの価格決定には売る側の心理的抵抗(社会的隔離具合)が強く影響しているのではないでしょうか。 では、なぜ社会は「根絶」にシフトしたのでしょうか。 ……と、思ってちょっと調べてみましたよ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E6%98%A5 http://togetter.com/li/567130

……軽く調べただけですが、どうやら世界的には、売春の合法化が徐々に進んでいるようでした。

人間社会に深く根付いた習慣であるが故に、禁酒法的な無理やり感を感じていて、
何故そういうゴリ押しを進めるのかを問おうと思っていたんですが、
規制しようという力よりも、そこへの需要の大きさが勝っていたということでしょうか。

公衆衛生の概念や、売春婦といえども奴隷的な取り扱いに対する予防線を充実させることで、
売春そのものの社会的な害が軽減されてきたということなんでしょうか。

とはいえ、白昼堂々と売春行為が横行するまでには、どうやら至っていない様子ですので、
やはり社会における向き合い方とすれば、「隔離」という状態で落ち着きそう、ということなんでしょう。

一部の人間にとって、感情的に許せないと感じられる事象への向き合い方として、
私は、柔軟に「隔離」という対処の仕方で臨むべきなんだろうと考えています。

 ――嫌なら見ないでくれ。その代わり、こちらからあなた方の眼に触れるようなことはしないから。

隔離マターの案件を考えるにつけ、従事者にはこの自制心を求めて行きたいと考えている私なのでありました。