無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

そんな橋下徹が見たかったんじゃない

 

http://blogos.com/article/63100/

 

ああ、橋下徹が俺の支持できる発言内容でコミュニケしてしまった。

この発言内容は、俺としてはおおむね支持できる。今を生きる日本人として、敗戦国の人間としては、これ以上主張することはできないだろう。

 

 

だがこれは、自民党だよ。

自民党の政府見解だよ。

俺は、自民党に入れるけど、野党として空気を読まない正論を吐き続ける人間は必要なのに。

 

 

こんなポリティカルコレクトネス(PC)を彼から聴きたかったんじゃない。

 

乙武騒動におけるグローバルいんちきという話を読んだときに頭がクラクラしたわけだが。

http://togetter.com/li/504989

 

> すり合わせだと考えている時点で根本的にちがいます。グローバル化はプロトコルです。すり合わせではない

> グローバル化が文化のすり合わせならば、日本以外も含めいったいいくつの文化をすり合わせないといけないのだろうか。そうではなくこれはグローバルスタンダードというプロトコルなのです。それがグローバルスタンダードのホントの意味です

 

これは、もう。思考放棄としか言いようがない。

 

「そういうことになっている」というお約束の元でみんな生きて行こうね、という話と、「お約束についてちゃんと考えようよ」という話が噛み合わない。

 

バカは前者の中で生きていけば良い。みんなバカだから、お約束に疑問を抱かなければ、幸せに生きていける。

 

お約束自体、それをみんなが守ることに、社会全体のメリットがあるから決められているわけで、そのメリットを享受しているうちは、お約束を武器にすれば良い。

 

でも、そのお約束の中では、幸せになれない人たちがいるわけで。

 

「障害者は、生きているだけで社会的リソースを浪費しているわけだから、差別されても致し方なし」というお約束の世界を、「障害者たりとも、自己の責任に帰することのできない事情により障害者になっているならば、健常者と等しく扱うべし」というお約束に書き換えたのが現代社会だ。

 

 

ならば、「戦争による悪事の責任は、すべて敗戦国に道義的責任を押し付ければ良し」というお約束の世界を、「敗戦国たりとも、自ら信ずるところによって戦ったのであるから、戦争結果による国際秩序を受け入れる範囲内において、道義的には戦勝国と等しく扱うべし」というくらいのものに書き換えても良いだろう。

 

 

さすがに、21世紀にもなって、20世紀中葉の戦争における道義問題を感情的に論ずるという時代錯誤をこそ、指摘して良い頃合になっていると思う。

 

もう、現在進行形の問題ではなく、まさしく「歴史」の問題なのですよ。

それを感情的に論じること自体、きわめてバカなのである。

 

 

それなのに、ああ、橋下徹と来たら。

バカの感情論の上に乗っかってしまった。

 

 

貞淑な妻が己の帰りを待っていることを期待して帰ってみたら、チョリーッスなガキに股を開いてアンアン言っていたでござる的な心境を隠せない感じと言うか(いいすぎ)。

 

アウトローな出自をバックグラウンドに持つ挑戦者が、老獪な権力者に絡め取られてしまったような印象であります。

 

もう一度言っとくけど、言ってることにはおおむね同意できるんです。ただ彼が、そういう常識論・お約束・現実主義に出してしまった感じがするのが、残念でならない、ということなワケです。

 

 

 

 今の価値観で過去を裁くのは、感情論でしかものを考えられないバカなのであって、そのバカさを利用したのが共産主義だということを忘れてはいけないんじゃないかと。

「農民は常に搾取されてきた」的な共産主義的歴史観のバカさは、既に共有されているものと信じたいが、そういうわけじゃないんだろうな。。。。