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無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

極論の重要性

違う違う。そんなことを主張したかったのではない。

 

橋下徹の今回みたいな正論を吐く人間が、社会には必要だ、みたいなことを言いたかったのに。

 

 

今回は、国政レベルの政治家として、我々の権利代表とするには、いささか軽率な物言いでしたよ、確かに。

 

だが、彼は、まだドメスティックな政治家に過ぎない。

 

今の、彼みたいなポジションで、堂々と正論を吐ける人間を、潰してはいけないと思うのですよ。

そういう意味で、みんなちょっとたたきすぎ。

 

 

俺は、ホリエモン嫌いでしたよ。ええ。

 

でも、彼みたいな人物は、この社会に必要だとも思うわけです。

彼みたいな成り上がり志向を許容しなければ、この社会は伸びていきませんよ。

 

 

極論に聞こえるかもしれないけれど、論理的に成り立つ話を、感情論で叩きにかかるのは、バカのすることです。

バカは、自分が不遇なのにもかかわらず、その境遇を強いる自分の環境を肯定しがちだったりするんですよね。なぜか。

 

いや、バカだからなんだけれども。

 

 

朝のワイドショーとか、床屋政談レベルの話に終始しているバカをいかに乗せるか?

という技法が、民主主義社会における、政治家の必須スキルなわけで。

 

 

はっきり言って、バカはバカなので、バカな民衆に主権を委ねるというのは自殺行為ですよ。

 

だけれども、バカはバカだけど、バカなりに活きていける方法を考えようよ、というのが、共和制の起源だと思うわけです。

 

バカを黙らせて、真っ当な政治を目指して欲しいものであります。