無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

ケガレは物理的現象ではなく心理的現象である

 

hagex.hatenadiary.jp

 

はい!

というわけでですね、当ブログも北朝鮮からお送りしているわけでございますが……

 

ヘイみんな!キムってるかい!?

 

 

 

――以下、シラフでお届けいたします。

 

 

mainichi.jp

 
これ、詳しいことは解りませんけれども。
 
衛生的に問題がないことと、汚物が入った袋と同じ湯につかることが気持ち悪いという問題って残念ながら別問題なんだよね、と思うんですよ。
 
汚物に関しては、やはり、肛門・尿道を通過して通念上の「体外」に出た段階でケガレを発生させるというのが、一般的な捉え方でしょう。
そしてなんとなく、糞便系の「ケガレ」は空気よりも水中の方が伝播力が強いような気がする。
 
人間なんてみなクソ袋だ、という議論はあれど、それは人間・もしくは人体を相対的に見る視野を持って、考察して初めて導かれる観念上の見解であって、その見解を理解していたとしても、本人としては「やっぱり気持ちわるい」「きたない」と感じてしまう。
 
これって、放射能こわい、に通じるものがありますね。
物理的にどうであるかはどうでもよく、「そこにそれがあること」にケガレを感じている訳なので。
 
つまり裏を返せば、原理的には「オストメイトに理解を」を言う人は「放射能怖い」って言う資格はないわけです。
(※決して彼らが「放射能怖い」って言っているということではないです。言っていたとすれば、それは重大なダブスタですよ、ってだけ。)
 

思考→運命 の格言の意味

[http://bylines.news.yahoo.co.jp/toyoomiya/20160303-00055003/ 

 
ちょっと古いですが、育休(とか有給とか)取得に申し訳なさを感じるべきか、という問題。

 ▼ 「和を以って尊しとなす」「相手の身になって考える」
 
経営陣だって人間です。
給料払ってるんだから、なるべくたくさん働いて欲しいですよ。そりゃ。
サボられすぎて会社を潰しちゃったら、それこそ関係者全員が不幸です。
経営陣はその責任を負っているわけです。
想定以上の成果を上げてくれる社員、無駄なコストを削減してくれる社員は、そりゃありがたいに決まっている。
 
相手の顔を意識しなくなり、集団として、機関として彼らを認識するとき、人は相手への洞察をやめます。
相手の顔を意識すれば、「なるべく相手の期待に応えたい」「意に沿うことをしたい」と思うのが、「善い」人なのだろうと思います。
職場をそういった「善意」で覆いたいのか、「人の事はどうでも良いので、自分の利益・願望を最優先する」という「利己性」で覆いたいのか、「困らせてやりたい」という悪意で覆いたいのか。
 
 
▼ 「善意」の応酬は「得」である
 
私自身、嫉妬心が強く、怠惰で、利己的であります。
心から「相手の期待に応えたい」とはあまり思っていません。
 
ですが、このような「善意」で構成される「場」にいることは、そこにいる人たちみんなにメリットがあることだとは考えています。
 
経営陣だって、社員の給料を払わなければならないというプレッシャー・危機感を常に背負っているわけですよ。
そこに甘えて平気な顔をする社員に対してムカつかない訳はありません。ムカつかれたら、そこに「悪意」の種が生まれます。
ムカついてもそれを許せるのは、親の愛以外にほとんど存在しないと思うのですがどうでしょうか。
 
「悪意」って恐ろしいですよ。
平気で論理性もその人の哲学も捻じ曲げて、対象に対する嫌がらせのための論理と哲学を無意識で構築させてしまうんですから。
「悪意」(もう少し柔らかく言えば「怒り」)に基づいた判断・行動を、論理性や哲学、果ては「善意」に基づいて行っているかのように思い込み、かつ平然と言ってのけれるのが人間なのです。
 
 
▼ 育休取得に際して申し訳なさを「感じない」ことと「表明しない」ことは次元が異なる
 
当然の権利として育休を取得するという行動に出ることは、その損得についてちゃんと考えられているのならば、別にアリだと思います。
ですが、法で保障された権利を行使するのは当然である、という態度を表明することは、損だと思います。
ほとんどの場合、それは場の空気を悪くします。
なので、「申し訳なさそうな態度」を取れない(少なくとも言葉で表明すらできない)人は、単純にバカだと思います。
 
善悪や正誤という基準で考えるよりも、損得で考えた方が「善く」、「正しい」状況を生み出しやすい……もう少し詳しく言えば、「嘘をつかない」ことを、善悪の問題と捉えると良い結果を生まず、損得の問題と捉えると良い結果に繋がりやすい……のではないでしょうか。
 
 
▼ 「いかなるウソもついてはならない教」からの目覚め
 
子供や若者向けのコンテンツでしばしば語られるセリフに「自分の気持ちにウソをついてはダメだ」というフレーズがあります。
これ、社会に垂れ流されている言説の中でも、かなりタチが悪いように思います。
 
理性で自分にウソをつき、感情を矯正する方が、よほど幸せに近づけると思うのです。
そもそも、人は「自分の気持ち」を理解してない場合がほとんどです。
 
「思考」から「運命」の格言がありますが、
これは、感情のままに思考するのではなく、思考で感情を制御しなさい、という教えなんじゃないかなと思うわけです。
 
 
 
 

オルタナティブな文明論としての「日本史」の価値

 

日本ってば、地勢的に長らく隔離されてきた、いわゆる「ガラパゴス的な」文明史を持ってるわけですよ。

 

外部要因が少ない、「閉じられた系」としての文明圏がどういう歴史を歩んできたか?を考えるヒントが詰まっている。

 

「文献資料」を持ち合わせている(より辺境な孤立文明圏が持ち合わせていない)、最も隔離度の高い「歴史」を持つ文明が日本だったりするんじゃないかと思うわけです。

 

日本と世界に共通すること(生殖的関係性を「血」と表現する、みたいな)が人類の本質的価値であり、共通しない側面は環境要因に起因する後天的な事象に過ぎないのだ、と最近考えるようになっている私なのでした。

 

 

 

【オフラインスパム】 ポスティングで収入を得ている人に持っていただきたい自覚

 

つかれて帰ってくるわけですよ。

ポストに何か投函されているわけですよ。

大量のチラシが出てくるわけですよ。

もうね。ガクッとくるんですよ。

 

ありていに言うとね。ウザいんですよ。

 

そして、あるとき気づくわけですよ。

雨の日は少なく、その翌日に大量にチラシが入っていると。

 

なんだ。貴様らは、雨が降ったら休めるのか。

人様の家にゴミを放り込んで収入を得ている身分のくせしやがって。

 

ふつふつと殺意が湧くわけですよ。

 

郵便局員を、ヤマト運輸を見習えと。

雨だろうと雪だろうと、届けてくれてるじゃねえかと。

 

あんたらが稼いでるその小銭は、多数の人のイラつきの上に存在してるという自覚はねえのか、と。

 

「あー、今日は雨だし、明日にすっか。」

 

というレベルの意識で、世間様に迷惑を振りまいてんじゃねえ、と。

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スティングしてる人に聞きたいんですけど、

まさか、迷惑メールのフィルタリングとか、かけてませんよね?

LINE公式アカウントの通知OFFとかしてませんよね?

あんたらのやってることはおんなじことなんですよ?

 

 

オフラインのスパムですよ。オフスパムですよ。

 

 

恥を知れ。

 

 

 

 

 

※ 怒りのあまり、往年のテキストサイトみたいな書き方になってしまいました。申し訳ありません。

 ※ また、怒りのあまり、クソ記事をポストしてしまったことを重ねてお詫び申し上げます。

※ 意見には個人差があります。

 

 

 

 

 

宗教(とか)の話


宗教観の違いは価値観の違いであり、価値観が違えば互いの「正義」が激突する。

互いに自分の正しさを疑わないとき、対立は先鋭化する。

先鋭化した対立を内在させる社会は不安定である。

したがって、歴史上、様々な権力が特定の宗教を弾圧してきた。


宗教弾圧の目的が社会不安の除去であるから、ほとんどの場合、これらの弾圧には「転向」の道が用意されている。
これは、信仰を棄て、共同体の信じる価値観に従うことの宣誓である。


弾圧されやすい宗教とは、独善性の強い宗教なのではないだろうか。
解釈の幅が大きく、本能への制約の少ない宗教は、教義に従いながらも社会規範を犯す蓋然性が低いため、異なる社会の中においても危険視されにくかろう。

イスラム原理主義は、その独善性ゆえに国際秩序から受け入れられず、過激化した。そして、今弾圧されるに至っている。
自己改革を怠り、柔軟性と強靭さを獲得することを拒否した集団の末路であるともいえる。



その点、ユダヤ教は根深い問題を抱えている可能性がある。
民族(あるいは血統)と宗教が強く結合してしまっているがゆえに、その教義の独善性と相まって、外部世界と融和することが困難だったのではないか。そのような、ホロコーストを呼ぶ下地がなかったと、誰が言えようか。

ナチを絶対悪と規定し、悲劇的ホロコーストの被害者であるという地位を得ることに成功したシオニストたちは、それがゆえに今は安住の地にいる。ユダヤ教に対する疑念を「差別」とすることに成功したがゆえに、自らの宗教を見つめ直し、改革する動機を失っているように見える。
イスラム教が、原理主義者たちを通して、自ら改革を迫られているのとは対照的だ。



何が言いたいかというと、宗教もイデオロギーも、主義主張あるいは価値観の問題なのであって、個人の思想によって転向しうる性質のものなのではないか、ということで、血統によって転向を許されなかったホロコーストはやっぱりひどいよね、という話とともに、ユダヤ教血統主義はやめたほうが良いんじゃないの、という話だったりもするわけです。

個人的には、名前の響きだけで、ゾロアスター教に興味を持った時期があったわけですが、これも血統主義だったりしていて、先天的に資格なしだったことに理不尽さを感じたことがあったなぁ。みたいな。

誤読怖い


っていう記事を読んで、あんたも同じやんけ!と、怒りが有頂天に達した私。

「上司」じゃなくて「最近の若い者」でも違和感なく言い換えれますよね。単純に誰もが持っている普遍的な人間の性質じゃないかと。「女性」とか「上司」とか、なぜ特定の属性を叩くために人間の本質を持ち出すのか。

っていうブコメを思わず投げてしまいましたが。

……クソっ 誤読した!
主張、同じやんけ!

汎用化して反証するなら判例を2つ以上挙げて欲しかった!(言い訳)

※当該ブコメは削除しております。申し訳ありませんでした。

【夜間限定】エレベーターで帰宅時、1階に戻しておく運動の是非

 

 

夜遅くに帰宅したとき、エレベーターが1階にあって、さっと乗れると気持ち良いですよね。皆さん、夜に限っては、使った後に1階に戻してみてはいかがでしょう?

という提案に対して、結構否定的なレスがついてるんですよね。
で、やっぱりみんな思慮が足りてないなぁ、と。

こういう話に対して、「その発想はなかった!たまに『ラッキー!』と思っていたアレは、誰かの善意だったんだ!」と思える素直な心が欲しいと思っています。
まぁ、小町にそれを求めるのは無理がありましょうかね。

【論点】
エレベータを降りるときに1階に戻しておく、という何でもないひと手間で、次に帰ってきた人が「ラッキー!」と感じてくれるなら、気持ちが良いじゃないですか。日中は出かけるケースも多々あり、裏目に出る可能性も高いですが、夜間に限っては裏目に出るよりも当たりになる確率が充分に高いことは容易に推測がつくので、夜間限定、ということで。


……で、このトピの場合、トピ主の書き方もアレな感じで、「逆のことをされてカチンときた」というエピソードを挟んだのは失敗でした。「怒り」の感情を表に出されると、反発されやすいです。また、降りたフロアを悟られない云々の話も本質的ではありませんので余計でしたね。
まぁ、語りモードに入ると、ついつい余計なことを書いてしまう癖は私も同じですので、戒めねば、とは思いますが。

 


さて、話のテーマが「自分のひと手間が他人の幸せにつながる」ということに気付けば、本質的に否定的な回答は出にくいはずなのですよ。とても美しい綺麗ごとなので。
少なくとも「ペイ・フォワード」を見て涙した人は、この提案に反対できないはずなのです。いやまぁ私、その映画観たことありませんけど。


「カチンと来た」につられて否定的な回答をしてしまった人は、「自分は、他人のためには、降り際に1階ボタンを押すというひと手間すら惜しむ、利己的な人間である」と、告白しているのと同義なのであります。


★☆★ 否定の仕方によるバカタイプ診断 ★☆★

・上層階から乗る人は不便じゃないか → ひとの話を聞かないバカ

かかる事態が発生しないことを充分に予期できる「夜間」に限定しているのに、その話を聞いていないバカです。


・夜であっても降りる人はいる → 計算できないバカ

これは本質が明記されていないが故に若干酷かもしれないけれど、バカはバカ。
論旨としては、「乗ろうとしている人がすぐに乗れる確率を上げましょう」ということなので、明らかに帰宅数が上回る夜間の時間帯に限れば、ラッキー遭遇率が飛躍的に上がるという計算ができてない、ということです。

夜間降りる人が、そのフロアに停まっているエレベータに遭遇できる確率は?
と、考えると無視できるケースのほうが圧倒的に多いことがわかります。


・エネルギーが無駄じゃないですか → 屁理屈で論点をズラすバカ

意図してかせずか、論点をズラしています。
誰もそんな話はしてない。
論点を把握していれば、せめて、「不発に終わった場合、無駄なエネルギーを使うことになるかもしれませんが、出かける人が充分に少ないと考えられる時間帯をどう考えるかが問題ですね。」くらいは言えるでしょう。

人に指図されるのが嫌なので、別の理屈をこねて否定にかかるタイプ。私の一番嫌いなタイプです。

ちなみに、当たった場合、エネルギーを無駄に消費することはありませんから、夜間に限定することでそのリスクは充分にヘッジされています。

夜間の緊急事態を挙げているバカもいましたが、これも屁理屈論点ズラしバカです。いや、駆けつけてくる救急隊員のために、1階においといたほうがいいのでは?と簡単に反論可能です。


・管理組合に言って設定を変えてもらえば? → 誤読&論点ずらしバカ

トピ主は自分が気持ちよく使いたいから主張しているのではありません。みんなで公共の施設を気持ちよく利用するために、こんなアイディアがありますよ!という主張なのです。

「なら、自分がやれば?」も同様。さらに言えば、このトピ主は自分では実践してると思います。


・ワタシはそう思ったことないけど? → 無関係なのに首を突っ込んでくるバカ

現に、帰ってきて1階に止まっていたら「ラッキー!」と思う人がいる以上、自分がそう感じないことはそのメリットを否定する理由にはなりません。
その有益性を理解できないので、自分は手間は惜しむよ、ならまだセーフ。


・(番外編)マンション住まい未経験の人 → 前提が共有できてないのに議論に加わってくるバカ

夜遅く疲れて帰ってきて、エレベーターが1階にあったときの「ラッキー!」感を理解していないため、議論に参加する資格に(若干)欠けています。

 

・○○と○○が対立してますね → 中立を装って、頭の悪さを露呈してるだけ

対立してないです。ちょっとの手間と、ちょっとのシアワセのトレードオフの話です。手間に対してリターンが大きいので(ただし受益者は自分ではない)、やりましょうよ、という話なので。


・自分はそれやられると困る。 → 例外を理由に全否定バカ

提案に対して例外的に、自分はこういう状況なので困ります。という反論。
例外を理由に全部を否定するタイプ。
○○というような場合もありますので、運用するときは気をつけていただきたい、と補足に留めておくのが正解かと思います。


・何?褒めて欲しいの? → 自分の(卑しい)考え方を他人も共有していると考えるバカ

トピ主は別に褒めて欲しい訳ではありますまい。
こう言わしめてしまうのは、発言者の「リターン(褒められること)がなければ、他人のためにはほんの少しの手間をも惜しむ」というメンタリティなんでしょうね。


・いいじゃん!でも俺はやらん。 → 素直でよろしい

受益はしたいが負担はしたくない!
素直でよろしいです。大変すばらしい。

変な屁理屈をこねて否定にかかるよりも、よほど素直で潔いと思います。

 


ちなみに、筆者は数年前に初めて上層階に住み、夜中に1階停止していたエレベーターに2回連続当たって以来、「夜帰宅時・降りるとき1階戻し」を実践しております。


お気づきの方もいるかもしれませんが、この問題、「囚人のジレンマ」の亜種のひとつと考えていいかと思います。

マンションのフロア数や戸数によって、また住人の生活時間帯によっても計算は変わってきますが、トータルラッキー係数(仮)は、少なくとも夜間に限定すれば1階戻しのほうが圧倒的に高くなるケースが殆どなのではないかと思います。