無能が恥でなくなった時代に生きる

ネットを通じてリテラシーが上がってきたためか、無能はやっぱり恥だよねという空気がジワリと出てきた気がするので、「バカについて考える」に再改題しようかな、とか考えています。

命の価値

 

d.hatena.ne.jp

なんか、昔の記事にブクマいただいたようで。ありがとうございます。

 

当該記事の要旨としては、「奪って良い命があるとすれば、我々人間にとっては【人間であるか否か】以外の線引きはありえず、犬や猫をこちら側に含めるべきではない」という感じ。

 

以前、どこかで補足したような気もしますが、一筆加えると、「人間以外の(例えば)犬猫をこちら側に入れてしまうということは、(肌の色など)特定の属性の人間をあちら側に追いやる考え方に通じる」ということ。

 

蚊取り線香を炊きながら殺されゆく犬を憐れむ行為は、泣いている幼女に声をかけている小汚いおっさんを即断で射殺する行為とあんまり変わらないのかな、と。

 

むう。喩えが良くない。

 

選挙だったんで、適当にマッピングしておきますね。

 

前に誰かが言っていましたが。

 

右翼は社会を「内」と「外」に分ける。

左翼は社会を「上」と「下」に分ける。

 

というわけで、今回の選挙に際して、各会派がどういうスタンスだったのか、という私的な印象値を適当にマッピングしておきました。

 

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みんなの党みたいな、「小さな政府」を正面から掲げる政党がいないんですよね、この国。維新・希望が自民党と差別化するならその路線だと思いました。自民党って、なんだかんだ、「大きな政府」な党ですからね。

 

 

 

10月のツイートまとめ

 

ここに書くようなネタがことごとくtwitterに移行してしまっているので、自分の振り返り用にここにまとめ。

 

築地市場のあれやこれや

 

ブラック云々

 

異民族王朝なのに中華を名乗る現象

 

 

マナー啓発広告・電車内での化粧に関して

 

 

ふと思った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月19日のニュースあれこれ

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO08355560U6A011C1000000/

携帯3キャリアが、利益ではなくシェア競争のため、ユーザーにその利益の一部を還元するという流れでもあるわけで、実質0円イイじゃないの、と思うんですけどね。

「そんなに頻繁に買い換えない人が損」とか、無意味な議論ですよ。
頻繁に実質0円で買い替えなさいよ。
そのぶんキャリアからメーカーにお金が流れて、世の中全体の金回りが良くなるってモンですよ。

まぁ、本来ならば国産スマホだけ実質0円OKとかやりたいところでしょうが、最近は国際社会の風当たりも強いですからねえ。




はるかぜちゃんさんの苛めについての発言

「いじめられる側にも原因がある」に対するはるかぜちゃんの指摘が相変わらず鋭かった件 - Togetterまとめ


(ざっくり要約)
> 「完璧な人間などいない」「『苛めたいという悪意』が先にあって、『苛められる側の要因』というものはその口実に過ぎない」

この子、すごいな。こんな洞察力のあること毎日一緒に過ごせたら、さぞかしストレスを感じずに生きていけるだろう。

 

苛めという現象については、もやもやと思うところがありますが、まぁそのうち気が向いたら。。。



http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1900735.html

え、これすごくね
わりとマジで

 

 

10月18日のニュースあれこれ

 

 

痛いニュース(ノ∀`) : 【炎上】 女子中学生写真が黒石市長賞→いじめ自殺→賞取消→批判の声「市長は恥を知れ!」「市長無能」 - ライブドアブログ


遺族が了解してるからいいだろ って声もありますが、クレームつけるヤツはそんなこと気にしないで燃やしに来るので、どちらにしろ炎上必至案件でしたね。
これは誰も悪くない(火をつけようと虎視眈々と狙ってるヤツら以外)不幸な案件。
なんだけど、これを取り上げたTBSは結果として炎上に加担したわけで、有罪やろなぁ……。

 

 

痛いニュース(ノ∀`) : スケスケスカートで頬を赤らめる東京メトロ公式キャラ「駅乃みちか」が大物議 批判受け修正 - ライブドアブログ

別記事で書きました

雑感 10月18日 (GTX1050(&Ti)が来るぞーって話と、駅乃みちか?の話) - ゲームとかの話

 

 

Google、ニュース記事に “fact-check” タグを導入 | TechCrunch Japan

これは日本にも来てもらえると助かるなぁ。
ウチのブログは、たまに煽ったりするのでガセ認定されそうですが、それはそれで。

 

 

7.5兆円市場、中国「配車アプリ」に急ブレーキ 壊滅的規制案の行方 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

そういや、日本ではあんまり配車アプリって聴かないけどどうなってるんでしたっけ。
タクシーの配車はあるけど、一般人の小遣い稼ぎ、見たいなのは聴いたことがない。やっぱ白タクになっちゃうからかな?

 

 

 

10/7 気になったこと

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1899254.html
子供のしつけとしてはやりすぎとか思ったが、大人(少なくとも小中学生というレベルではなさそう)になってもまだそういう発言ができてしまうレベルだとすると、これくらいの衝撃がないと矯正は出来ないのかもなぁ、とは思った。
だが、この母親(本当に母親なのだとすれば)を擁護する気にもなれない。行為そのものがアレだし、そう育ててしまったのはアンタでしょ的な感じもするし。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1899247.html
ダメ。不倫の上、子供を捨てて逐電したという過去を持っている人は、「謙虚な聖人」ポジションで、誰もが正しいと認められることの伝道者にまでしかなれない。
賛否両論ある議論において、反対意見を持つ人を口汚く罵って許される属性では決してない。
過去にやらかした人の「強い言葉」もしくは「罵声」は、その後どれだけ実績を積もうと、共感は得られない。
一度転向したかに見えるその経歴が「反省したフリ」であり、腹では舌を出していたのではないかと、どうしても勘ぐりたくなる。

http://www.j-cast.com/2016/10/05279906.html
気持ちはわかるけど、それなり手続きを踏んで取ったコンセンサスにまで難癖つけられて、その難癖をも尊重するのが民主主義だ、と言われてしまうと、国(社会)がヤバくって変えなきゃならないのに、何ぬるいこと言ってるんだ!っていう信念(ファシズムとか独裁とか)に走ってしまった連中の気持ちもわかる気がするよ。
反民主主義みたいな流行病を若くして経験したオッサン(今は、もっとまともなシステムはないものかと思っている程度)です。はい。

現実的なコストを考えれば「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が大事。故に「ホラ吹き」の罪は大きい。

▼「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」を重視するという考え方
 
「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」を重視しよう、という考え方があります。気持ちは判る。それが現実的にできればとてもよろしい。
ですが、「何を言ったか」をきちんと検証・論考するのはとても手間(とそれに付随する時間)がかかる。とてもコストが高い。
誰もが好き勝手に発言できるネット社会は、それこそ玉石混交、膨大な情報が飛び交う場になりました。膨大な情報を、いちいち検証・論考するコストは誰にも取れません。だからこそ、情報の信頼性を「誰が言ったか」で判断せざるを得ません。「何を言ったか」で判断しよう、という人は、読み手にその検証・論考コストを求めています。
読み手が、その言論分野に関する専門家であったり利害関係者であるならば、そのコストを取らねばならないでしょう。しかし、多くの場合、読み手は好奇心で読み流しはしますが、検証・論考するコストは取れないでしょう。だって忙しいんだもん。であるならば「誰が言ったか」が重要になることは自明、ということになります。
 
かつては、時間をかけて蓄積された知識でしか、そのコストは購えませんでした。だからこそ、若いうち・学生のうちに先行する議論を体に叩き込んでおく必要があった。知的階級が固定された一因はここにもあったのでしょう。
しかし、今はネットでいろいろ調べることができる。ネットその他で、この検証・論考できる能力のことを「リテラシー」と呼びます。とはいえ、それもタダではない。知的階級の開放性という意味では価値があるネット革命も、検証・論考コストを無視できるようにまではしていません。
 
「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」を重視しよう、という考え方は理想主義的であり、コストを度外視します。コストが合わないものは実現性が低いです。
「何を言ったか」を重視すべき、という人が自らを「現実主義者」だと自認しているならば、ちょっと立ち止まって考え直したほうがいいのかもしれません。
 
▼「誰が言ったか」は「何を言ったか」の積み重ねでしかつくれない
 
しかし、「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」こそが大事なのだと、強く言える現実主義者はいません。
なぜなら、その「誰」の信頼性は「何を言ったか」の積み重ねの上にしかないからです。「何を言ってきたか」という信頼を勝ち取ることが、現実的議論に資するということもまた、解っているからです。そういう信頼を勝ち取ったからこそ、彼の発言には価値があるのであり、言論で収入を得うるのです。
 
議論が循環してしまうようですが、「何を言ってきたか」の検証・論考は、コストを支払って誰かがなさねばなりません。
このコストは、(分野にもよりますが)メディアが支払うべきものです。拡散させる情報の信頼性が商品なのですから。しかし、最近はメディアも苦しい。そのコストを取れなくなってきているように感じます。結果、自称の肩書きだけでその信頼感を詐称する人が溢れるようになってしまいました。旧聞に属しますが、ショーンKさんのホラッチョ事件は、これを象徴しているように思います。
 
▼メディア(的な存在)が、「信頼性アリ」と判定した人物の言論を広く流布がホラ話だったときの害
 
ホラ話は極めて効率が悪い、ということは、おそらく昔から気付かれていました。だからこそ「ウソは良くない」という価値観が生まれたのだと思います。
ウソを言うことのコストの安さに比べて、その欺瞞性を検証するコストの高さは、今も昔も変わらないのでしょう。「神の手」事件によって、日本の考古学界はウン十年分を損失した、という人がいます。それは、その検証に、本来議論を進る為に割かれるべきコストが割かれる、というだけでなく、その上に積み上げられた議論が全て再検証されねばならないからです。
 
社会的な影響度を考えると、いわゆる大量殺人犯よりもよほど社会に害悪を与えるのだ、という自覚を持ってもらいたいものです。
 
とはいえ、間違っている議論が、故意・自覚的に垂れ流れるだけではない、というところが難しい。勘違いを前提に、善意で発信された言論が、結果としてデタラメだった、ということもまた、往々にしてあるからです。
勘違いを元にデタラメを言ってしまうことが糾弾、もしくは弾圧されてしまう社会は、言論に抑制的になってしまい、停滞を招きますから、デタラメを罰するような中世的言論空間に戻してしまうのもよろしくありません。だからこそ「言論の自由」という理念があります。
 
そうすると、ホラ話の害悪性について考えるとき、その故意性は罪の大きさに対して極めて重要な判断基準になることがわかってきます。
故意でホラ話を垂れ流すことは社会の知的コストを莫大に浪費します。
 
ホラ話は大量殺人犯よりもよほど社会に害悪を与える、という大前提の元に立つと、疑義のある言論が、その疑義と相対したときに、それを発した人がどのような態度を取るかが、その故意性を測るひとつの指標になるかもしれません。
 
間違いだったら訂正する、という態度の人は、ウソの害悪性を認識しているように思います。したがって、本当に勘違いだった可能性が高い。
逆に、疑義を無視したり、逆に攻撃したりするような場合は、故意でガセを流していると思って良いのではないでしょうか。その害悪性を認識していないか、その害悪性よりも保身を優先してしまっている可能性が高いと考えられるからです。